5-1.追悼式 

16周年以降は、情報が少ないので「ニュース」欄をご覧ください。

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2周年追悼式:北と南のタワー跡に設けられたプールに花を捧げた。
(写真は南棟跡)



15周年記念式典((2016年9月)

ニューヨーク
例年とおなじく、国旗入場、国家演奏に続き、6回の黙祷を挟んで、犠牲者氏名の読み上げが行われました。節目の年でもあり、ここ2-3年に比べると参加者が多く感じました。三代の市長と州知事に加え、民主・共和両党の大統領候補も参列しました。ただしスピーチはありません。やや蒸し暑い日だったせいか、民主党のクリントン候補が中と退場し、話題となりました。

 
(左)セレモニー スナップ。中央で氏名の読み上げが行われている。
(右)メモリアルに中野の展示会で折っていただいた折鶴と「日の丸」を捧げました。


ペンタゴン
建物前でオバマ大統領がスピーチしました。現職大統領として、最後の9/11となります。


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14周年記念式典(2015年)

ニューヨーク

 
(左)手話を交えて犠牲者氏名の読み上げが行われた。椅子の準備がなく、自分で持参した人も多かった。      
(右)南棟跡メモリリアルの南東角部分

薄曇りの中、六回の黙祷を挟んで、例年どおり犠牲者氏名の読み上げが淡々と行われました。夜はトリビュート・ライトが点灯されました。
14周年という半端な年のせいか、新聞各紙も写真を1枚掲載した程度のものが多く、あまり情報は得られませんでした。
事件は歴史の中に定着しつつあるということでしょか。


シャンクスビル(ペンシルバニア
ユナイテッド93便墜落地点近くに、「学習センター」が完成し、9.11はその落成披露も兼ねた式となり、関係者のスピーチが続きました。式場には二つの鐘が設置されています。                                                  


(久下やちよさん提供)

13周年追悼式(ニューヨーク)(2014年)

ニューヨークの天候は曇り、やや涼しく過ごしやすい気候でした。新市長デ・ブラシオ氏も参加しましたが、スピーチはなく、6回の黙祷を挟んで、犠牲者氏名の読み上げが淡々と進められました。ミュージアム開館後初めての式典で、多くの家族はそちらに向かいました。  


 
犠牲者氏名の読み上げとそれを見守る人たち。(写真中の年号は'2014'の誤りです

12周年追悼式(2013年)
ニューヨーク:6回の黙祷を挟んで犠牲者名の読み上げ等、昨年とほぼ同様におこなわれました
。昨年まで持参した花を置く所がなく、家族は困っていましたが、短く切って名前のところに挿す方法が定着してきたようです。(「ニュース」に写真)(ナショナル・メモリアルではこの方法で犠牲者の誕生日に花を飾っているとのことです)今年はプレート前で同じ職場のアメリカ人家族とも交流が出来ました。             
ユナイテッド93便の家族は翌12日に訪問されたかたも有ったようで、前日花の無かった場所に花が飾られていました。 
   

 
        
氏名の読み上げ                  読み上げ中、弦楽器による奏楽が続けられた

なお、昨年まで9・11前の日曜日に行われたバーゲン郡(NJ)の追悼式は今年は9・11後となったため、参加できませんでした。

11周年追悼式(2012年
ニューヨーク
:昨年は氏名が呼ばれてからメモリアルに入りましたが、今年は開場と同時にメモリアルに入場できるように変わりました。そのため、家族は氏名の読み上げ前にメモリアルに直接行き、刻まれた名前の前で自由に時を過ごすことが出来、これまでより、楽に参加できるようになりました。6回の黙祷を挟んで氏名の読み上げが行われました。ユナイテッド93トペンタゴンの犠牲者も含む式典となったため、黙祷の回数は2回増えて6回になっています。この間、これまでと同様、奏楽が行われました。ただ読み上げるステージは低くなり、近くに行くこともできて親しめる式となりました。                    
 今年の特徴は政治家のスピーチが行われなかったことで、11月の大統領選挙に配慮したことと、ミュージアム建設の遅れの原
因となった政治家間の権力争いに関係者が抗議の意思を表したためと言われています。                       



(左)犠牲者氏名を読み上げる人たち。左側に楽団員がいる。右手前の鐘は黙祷時に鳴らされる。
(右)犠牲者の氏名を記した星条旗 [Flag of Honor] を振るおじさんがいた。

ペンシルバニア:今年は1日前の10日にパネッタ国防長官が昨年完成したメモリアルを訪れました。翌11日追悼式が行われました。(唯一の日本人犠牲者、早大生(当時)の久下俊哉さんの母親・やちよさんは式典の翌日、ニューヨークのメモリアルも訪れました)

ペンタゴン:11日、オバマ大統領はペンタゴン前で行われた追悼式で,「たとえ何年たとうともあなたがたは一人ではない。あなた方の愛する人は決して忘れられることはない。彼らはわが国民の心の中に抱かれ続けられるだろう」と述べました。     


その他の地区での追悼式
ニュージャージ州・バーゲン郡:オーバーペック公園の一角にあり、これまで9/11の前の日曜日に追悼式が行われてきました。地方の追悼式は縮小傾向にあるとのことでしたが、今年も例年のように9月9日、午後3時から式が行われていました。ここには4名の日本人犠牲者の名前が記されています。また、今年は「テロとの戦い」で戦士した兵士(16名)の追悼も兼ねて行われました。
 



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10周年追悼式(2010.9.11)
ニューヨーク
今年の犠牲者氏名の読み上げは、WTCのみでなく、シャンクスビル(U93),ペンタゴンおよび1993年のWTCビル爆破の犠牲者を含む2.983名を対象として行われた。そのため例年より1時間遅い午後1時まで式が行われた。読上げには杉山陽一の長男・太一も参加し、日本語で父親への感謝と『がんばろう日本』と述べた後、「Pray for Japan」と述べると、一瞬会場がどよめいた。(写真) 
読上げが終わると、家族は新しく設けられたモニュメント敷地に入り、犠牲者を追悼した。 (2011.10.7記載)                                         


(右)犠牲者氏名の読み上げ 
(左)北棟モニュメント前・後ろは建設中の1WTC

ペンシルバニア
10日、判別できない遺体の埋葬式が行われ、墜落地点近くに3個の国旗に包まれた棺が埋葬された。                                   
11日には、クリントン、ブッシュ前大統領、オバマ大統領が出席して追悼式が行われた。 (2011.11.23追加)                                          

メモリアルの前で献花するオバマ大統領夫妻(久下やちよさん提供)

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9周年追悼式(2010.10)
 NY市追悼式(2010.9.11)
昨年と同じズコッティー・パークで行われましたが、昨年と違い少し涼しい晴れた空の下でした。公園の木々もだいぶ大きくなった感じでした。来年はいよいよメモリアルが完成するので、この公園での式典もこれが最後となるのでしょう。   


成長した木々の前で犠牲者の氏名が読み上げられた

  
(左)建築現場の仮設プールに献花
(右)式の終了を告げるNY市警のラッパ手
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(ペンシルバニア、ワシントンについては適当な写真がないため省きます)


8周年追悼式(2009.10)

 NY市追悼式(2009.9.11)
昨年と同じリバティ・ーストリートの小公園 ズコッティー・パークで行われました。
冷たい雨交じりの風に吹かれ、これまでで最悪の状況でした。           
2002年以来使われてきた底部に降りる大きな坂道は工事のため撤去され、サイト西側から同レベルのメモリアル工事現場(南棟跡)に設けられた水槽に献花しました。                                               



(左)雨の中で国家斉唱。左の人物は参加者の中にたつ指揮者
(右)雨の中で式を見守る参加者と公園を飾ったフラワーポッド



(左)献花場入口。工事用標識はそのまま。正面奥は「センチュリー21」
(右)献花場とガード

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7周年追悼式(2008.9)

 NY市追悼式(2008.9.11)

ハリケーンに吹き込む風の影響で不安定な天気でしたが、式が始まると晴れ間が見え始めました。今年は家族代表と、犠牲者を出した95ヶ国(地方を含む)の留学生がペアを組んで、犠牲者の名前を読み上げました。この間、例年通り、4回の黙祷が行われました。跡地に下りる坂道には犠牲者を出した国々の旗が並べられました。日本の国旗が公式に立てられたのは初めてと思います。                   

     
留学生と家族がペアを組んで壇上で犠牲者の名を読んだ。


(左)黙祷の時鳴らされる鐘                 
      (右)献花場と各国国旗 (「日の丸」は画面右中央だが見えない)


United 93便追悼式(2008.9.11)

  昨年と同様、暫定メモリアルの前で行われた。今年は唯一の日本人犠牲者である久下季哉さんの母親が、ご子息を含む5人の犠牲者の氏名を読み上げた。
大統領候補のマケイン氏もスピーチを行った後、NYに向かった。         

9月11日、追悼式会場、最前列左端に大統領候補マケイン氏、左後ろに「氏名読上げ」のため待機する久下さんが見える。(Michel Emerson氏提供・copyright有)

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6周年追悼式(2007.9)

NY市追悼式(2007.9.11)


「天国の涙」のなかで行われた追悼式。グランド・ゼロの底には丸い水槽の中に南・北棟をしめす四角な枠があり、その周囲に献花した。  


United 93便追悼式(2007.9.11)





墜落現場までは道路が無く、雨のためはいれなかった。星条旗の中の一本の日章旗が事件の国際性を示すかのようだ。(久下様提供写真)  

ニュージャージー州ベルゲン郡の追悼式(2007.9.9)


9.11の前の日曜日(9日)午後4時から追悼式がおこなわれた。2本のタワーにこの地区の犠牲者147名の氏名が刻まれていて、その中には事件当時 在住した日本人4名の氏名もある。          
メモリアルの下にフラワーポッドを捧げた。                

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5周年追悼式(2006.09)


(1)ニューヨークの追悼式


犠牲者の氏名を読み上げる家族の斜め後ろには、再建された
「タワー7」のガラス窓に青い空と白い雲が写っていました。



南棟跡の献花場。後ろは地下鉄駅の一部。
工事が本格的に始まったので来年はここに入れるか判らない。
(2年前にもそういわれた。空白の時間が過ぎ、こころの空白も埋まらない)


(2)UA93追悼式(ペンシルバニア・シャンクスビル)


ユナイテッド93墜落現場で献花するブッシュ大統領夫妻



UA93便・乗務員追悼式に集まったユナイテッド関係者
後ろはU93乗務員の追悼モニュメント
(本欄写真は久下様の提供)

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(3)在日米国大使館での9.11記念式典

記念樹の山紅葉に献花するJ・トーマス・シーファー大使夫妻
この式典の大使の挨拶から、一部を抜粋、紹介させていただきます。
(アメリカ大使館のサイトによる)

「今晩、私たちは、いつものように生活していながら犠牲になった罪のない人々を追悼するためにここに集まりました。世界の半数近くの国々から犠牲者がでました。彼らは話す言葉や宗教もさまざまで、若い人もお年寄りも、屈強な人も体の弱い人もいました。悪いことをしたわけでもなければ、大義を主張したわけでも、罪を犯したわけでもありませんでした。あの日、彼らにはまったく罪がなかったにもかかわらず、邪悪な人々の攻撃にさらされる運命にあったのです。」

「あの日テロリストのもくろみは失敗に終わりました。人間の心を破壊できず、逆に強める結果になりました。私たちの価値観を変えることができず、より強固なものにしました。私たちの善良さを奪うことなく、それを示す機会を与えてしまったのです。だからこそ、最終的には、彼らではなく私たちが勝利するのです。

 それでは皆さん、2001年9月11日に犠牲になった勇敢な人々のために、黙祷をささげましょう。」

大使館の記念樹「山紅葉」を見る

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4周年追悼式(2005.09)
(今年は追悼式に参加しなかったので詳しい情報がありません。この項は「ニュース」欄(28)と同じです)

現地での追悼式式が終了しました。                   
ニューヨークは例年のように快晴で風もありませんでした。      
ライス国務長官、ブルームバーグ市長およびジュリアーに元市長らが出席して挨拶しました。市長はロンドンのテロ犠牲者およびハリケーン・カトリーヌの犠牲者についてもふれました。                
 例年のように犠牲者の名前をよみあげる方法で式が行われました。今年は兄弟・姉妹が名前を読み上げましたが、後に続けるメッセージが長目だったため終了は予定時刻よりかなり遅れました。       
昨年と同じく、家族は南北棟跡におり献花しました。工事開始のためこの場所におりるのは昨年で最後と言われていましたが、設計変更 で工事開始が遅れたため、今年も跡地におりることが出来ました。  
しかし、市民の間には工事開始を要望する声も強くなってきており、冬には着工される模様です。                           

また、ペンシルバニアのユナイテッド航空93便の墜落現場でも追悼式が行われました。
式の前日、公募によって決定したメモリアルパークについて発表がありました。また、式後、家族は2台のバスに分乗してピッツバーグ市に行き、アメリカン・フットボールの試合を観戦しました。            
(今年は私は現地追悼式には出席しませんでした。この記事は今回訪米された家族のお話をもとに、一部補足して記載しました。KAZU)




3周年追悼式(New York) (2004.10)
今年の式は去年とほとんど同じ式次第で、4回の黙祷をはさんで、犠牲者の名前が読み上げられました。去年との違いは、今年は犠牲者の親または祖父母が名前を読んだことです。

 それに先立って行われたブルーンバーグ(Bloomberg)NY市長の式辞は、参加した親たちの心をうちました。
「両親を亡くした子供たちは孤児(orphan)とよばれ、妻をなくした夫は寡
夫(widower)、夫を亡くした妻はっ寡婦(widow)とよばれてきた。しかし子供を亡くした両親の呼び名はなく、その苦痛を表現する言葉はない。」
「私は一人の父親として、彼らの悲しみが『清算』(be reckoned)されることは絶対にないということを知っている。」

 名前を読んだ親たちはその前後で簡単なメッセージを付け加えることができました。その一つ、オルセン(Carol Olsen)さんが、消防士であった息子さんに呼びかけた言葉を紹介します。「世界にとってあなたは英雄だった。私たち家族にとって、あなたは世界だった。」(To the world, you were a hero, to our family, you were the world.) (この項 'NEW YORK POST' 9/12 による)

 昨年に比べると少し雲がありましたが、やはり強い日差しで、混雑の中、立ったまま待つのはかなり苦痛でした。名前をよまれたあと、関係者は底部の献花場までおりて献花しました。今年は南・北両棟跡に献花場があり、南棟側にもはじめてっ献花することができました。

名前の読み上げに先立って ドボルザークの「家路」が演奏され、また4回目の黙祷のあと「ダニー・ボーイ」(にほんでは「ロンドンデリーの歌」としてもしられている)が歌われたのが印象的でした。最後にトランペットの吹奏があって正午に式はおわりました。

式後、日本領事館のご招待により、昼食会がもたれ、家族11名が出席しました。

    名前を読む親たち(写真の日付けは日本時間のままです)

    南棟跡の献花場(後ろは地下鉄駅外郭)

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: 2周年追悼式(New York)(2003.9.11)

昨年と同じ晴れ渡った空の下で式が行われました。昨年より簡素で参加人数も少ないようでした。日本の家族の列席は全体で8家族だったようです。私はNHKの取材に協力してカメラの近くにいたので、式の細かい状況はわかりませんでした。
4回の黙祷を挟んで、子供たちが犠牲者の名前を呼ぶ形で式が進みました。名前を読み終わった子供たちが, ‘Father, I love you’ などと呼びかけているのが大変印象的でした。一人の日本人犠牲者のお子さんもその役目を果たされたと聞いています。
 式後、日本領事館の主催で昼食会が持たれ5家族が出席しました。安藤大使は着任されたばかりでしたが、前の職務は中東関係でアフガニスタンやイラクなどとも深くかかわっておられたようです。(KAZU)  (2003.12)


2周年追悼式スナップ(2003.9.11)

 西側・フィナンシャルセンタービルテラスより見た追悼式場。
瓦礫搬出トラックのための傾斜路を使ってタワー跡に下りた。
右上の構築物は復旧工事中の地下鉄駅。
      
1周年追悼式については未完
                            


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