5.追悼式・追悼施設

5−1−3:4周年追悼式(NY,ペンシルバニア)(2005.09)
(今年は追悼式に参加しなかったので詳しい情報がありません。この項は「ニュース」欄(28)と同じです)

現地での追悼式式が終了しました。                   
ニューヨークは例年のように快晴で風もありませんでした。      
ライス国務長官、ブルームバーグ市長およびジュリアーに元市長らが出席して挨拶しました。市長はロンドンのテロ犠牲者およびハリケーン・カトリーヌの犠牲者についてもふれました。                
 例年のように犠牲者の名前をよみあげる方法で式が行われました。今年は兄弟・姉妹が名前を読み上げましたが、後に続けるメッセージが長目だったため終了は予定時刻よりかなり遅れました。       
昨年と同じく、家族は南北棟跡におり献花しました。工事開始のためこの場所におりるのは昨年で最後と言われていましたが、設計変更 で工事開始が遅れたため、今年も跡地におりることが出来ました。  
しかし、市民の間には工事開始を要望する声も強くなってきており、冬には着工される模様です。                           

また、ペンシルバニアのユナイテッド航空93便の墜落現場でも追悼式が行われました。
式の前日、公募によって決定したメモリアルパークについて発表がありました。また、式後、家族は2台のバスに分乗してピッツバーグ市に行き、アメリカン・フットボールの試合を観戦しました。            
(今年は私は現地追悼式には出席しませんでした。この記事は今回訪米された家族のお話をもとに、一部補足して記載しました。KAZU)



5−1−2:3周年追悼式(New York) (2004.10)
今年の式は去年とほとんど同じ式次第で、4回の黙祷をはさんで、犠牲者の名前が読み上げられました。去年との違いは、今年は犠牲者の親または祖父母が名前を読んだことです。

 それに先立って行われたブルーンバーグ(Bloomberg)NY市長の式辞は、参加した親たちの心をうちました。
「両親を亡くした子供たちは孤児(orphan)とよばれ、妻をなくした夫は寡
夫(widower)、夫を亡くした妻はっ寡婦(widow)とよばれてきた。しかし子供を亡くした両親の呼び名はなく、その苦痛を表現する言葉はない。」
「私は一人の父親として、彼らの悲しみが『清算』(be reckoned)されることは絶対にないということを知っている。」

 名前を読んだ親たちはその前後で簡単なメッセージを付け加えることができました。その一つ、オルセン(Carol Olsen)さんが、消防士であった息子さんに呼びかけた言葉を紹介します。「世界にとってあなたは英雄だった。私たち家族にとって、あなたは世界だった。」(To the world, you were a hero, to our family, you were the world.) (この項 'NEW YORK POST' 9/12 による)

 昨年に比べると少し雲がありましたが、やはり強い日差しで、混雑の中、立ったまま待つのはかなり苦痛でした。名前をよまれたあと、関係者は底部の献花場までおりて献花しました。今年は南・北両棟跡に献花場があり、南棟側にもはじめてっ献花することができました。

名前の読み上げに先立って ドボルザークの「家路」が演奏され、また4回目の黙祷のあと「ダニー・ボーイ」(にほんでは「ロンドンデリーの歌」としてもしられている)が歌われたのが印象的でした。最後にトランペットの吹奏があって正午に式はおわりました。

式後、日本領事館のご招待により、昼食会がもたれ、家族11名が出席しました。

    名前を読む親たち(写真の日付けは日本時間のままです)

    南棟跡の献花場(後ろは地下鉄駅外郭)

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