5:追悼式典
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5-1-8:11/12/13周年記念式典
13周年追悼式(ニューヨーク)(2014年)
ニューヨークの天候は曇り、やや涼しく過ごしやすい気候でした。新市長デ・ブラシオ氏も参加しましたが、スピーチはなく、6回の黙祷を挟んで、犠牲者氏名の読み上げが淡々と進められました。ミュージアム開館後初めての式典で、多くの家族はそちらに向かいました。

犠牲者氏名の読み上げとそれを見守る人たち。(写真中の年号は'2014'の誤りです
12周年追悼式(2013年)
ニューヨーク:6回の黙祷を挟んで犠牲者名の読み上げ等、昨年とほぼ同様におこなわれました。昨年まで持参した花を置く所がなく、家族は困っていましたが、短く切って名前のところに挿す方法が定着してきたようです。(「ニュース」に写真)(ナショナル・メモリアルではこの方法で犠牲者の誕生日に花を飾っているとのことです)今年はプレート前で同じ職場のアメリカ人家族とも交流が出来ました。
ユナイテッド93便の家族は翌12日に訪問されたかたも有ったようで、前日花の無かった場所に花が飾られていました。

氏名の読み上げ 読み上げ中、弦楽器による奏楽が続けられた
なお、昨年まで9・11前の日曜日に行われたバーゲン郡(NJ)の追悼式は今年は9・11後となったため、参加できませんでした。
11周年追悼式(2012年
ニューヨーク:昨年は氏名が呼ばれてからメモリアルに入りましたが、今年は開場と同時にメモリアルに入場できるように変わりました。そのため、家族は氏名の読み上げ前にメモリアルに直接行き、刻まれた名前の前で自由に時を過ごすことが出来、これまでより、楽に参加できるようになりました。6回の黙祷を挟んで氏名の読み上げが行われました。ユナイテッド93トペンタゴンの犠牲者も含む式典となったため、黙祷の回数は2回増えて6回になっています。この間、これまでと同様、奏楽が行われました。ただ読み上げるステージは低くなり、近くに行くこともできて親しめる式となりました。
今年の特徴は政治家のスピーチが行われなかったことで、11月の大統領選挙に配慮したことと、ミュージアム建設の遅れの原
因となった政治家間の権力争いに関係者が抗議の意思を表したためと言われています。

(左)犠牲者氏名を読み上げる人たち。左側に楽団員がいる。右手前の鐘は黙祷時に鳴らされる。
(右)犠牲者の氏名を記した星条旗 [Flag of Honor] を振るおじさんがいた。
ペンシルバニア:今年は1日前の10日にパネッタ国防長官が昨年完成したメモリアルを訪れました。翌11日追悼式が行われました。(唯一の日本人犠牲者、早大生(当時)の久下俊哉さんの母親・やちよさんは式典の翌日、ニューヨークのメモリアルも訪れました)
ペンタゴン:11日、オバマ大統領はペンタゴン前で行われた追悼式で,「たとえ何年たとうともあなたがたは一人ではない。あなた方の愛する人は決して忘れられることはない。彼らはわが国民の心の中に抱かれ続けられるだろう」と述べました。
その他の地区での追悼式
ニュージャージ州・バーゲン郡:オーバーペック公園の一角にあり、これまで9/11の前の日曜日に追悼式が行われてきました。地方の追悼式は縮小傾向にあるとのことでしたが、今年も例年のように9月9日、午後3時から式が行われていました。ここには4名の日本人犠牲者の名前が記されています。また、今年は「テロとの戦い」で戦士した兵士(16名)の追悼も兼ねて行われました。